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2019年3月1日

自身を否定する?なぜ?

アシェル・イントレーター

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イエシュアは、「『はい』は『はい』、『いいえ』は『いいえ』とだけ言いなさい。」(マタイ5:37)と述べられました。この文脈では、主は宗教的な誓いについて語られていますが、私たちはさらに一歩進ませて、良い事は良い、悪い事は悪い(イザヤ書5:20)です。

私たちが「はい」と何に対して言うでしょうか。すべて良い事に対してです。全ての神の約束はイエシュアを通して「はい」で、「アーメン」です(2コリント1:20)。私たちはすべての良いもの、純粋なものについて考えます(ピリピ4:4-8)。神の約束を黙想する事を通して、私たちは前向きな態度を持ち、私たちの意識にそれをもたらすのです(ローマ12:1-3)。

しかし、私たちはまた悪い事に「いいえ」と言わねばなりません。悪は3つの元からやって来ます。それらは世界(社会的な圧力)、肉(プライドや欲情)、悪魔(悪霊)です。私たちは罪や死に到る全てに対して「いいえ」と言わねばなりません。

自身の「肉」を葬る

イエシュアは、「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。」(ルカ9:23)と言われました。イエシュアに従う事で、全ての神の栄光ある祝福をもたらすのです。

しかしながら、主の足跡を辿る事は、「自身を否定する」事から始まります。その意味は、自分の自己中心的な望みに「いいえ」と言う事です。ラビはこれについて「יצרהרע 、イェツァ-・ハラ」悪の本能と呼びました。

考えてみて下さい。

  1. 十戒の中で「~をしてはならない」で始まるのはいくつあるかを考えて見て下さい。
  2. 詩篇1章は3つの「~しない」で始まっています。悪者の道を歩まず、罪人のように行わない、あざける者の席に座らない。
  3. イエシュアのゲッセマネでの大いなる祈りは「私の意志ではなく、あなたの」(マタイ26:37ff)と何度も繰り返されています。
  4. 聖霊の実の最後は「自制」(ガラテヤ5:22-23)です。
  5. 「神の性質」を受け取る者となる事はまた自制です(2ペテロ1:3-7)。

パウロはまた「自身を十字架に付ける」(ガラテヤ2:20)、「世のものを十字架に付ける」(ガラテヤ6:14)、「肉を十字架に付ける」(ガラテヤ5:24)を語っています。これは何も自己に鞭打てとか非難せよと言っているのではなく、悪い影響、とりわけ自身の罪の本能に「いいえ」という事を表しています。

自己否定は自己非難と真逆で、それは聖霊による恵みの働きです。「今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。」(ローマ8:1)。イエシュアの血によって、私たちは全ての罪から浄められる事を神に感謝します(ヘブル9:14、10:1-3、12:24)。

しかしながら、私たちを非難から解放して下さる同じ聖霊は、また「自己中心や欲情」に死をもたらします。「もし肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬのです。しかし、もし御霊によって、からだの行ないを殺すなら、あなたがたは生きるのです。」(ローマ8:13)。聖霊の働きについて、全てのすばらしい、前向きな節の中に、私たちはその箇所を見落としがちではないでしょうか。聖霊は「肉」の働きを止めるのです。

内側から

なぜこの自己抑制はとても重要なのでしょうか。これは、神の子らが被造物を支配する私たちへの神のご計画にかかわる事です(創世記1:26-29)。私たちは主と共に「支配し統治する」よう召命されているのです。(ローマ5:17、黙示録5:10、20:6)。自己抑制は実際に自身を支配する事なのです。もしあなた方が自身を支配する事が出来るなら、あなた方は世界を支配する事が出来るのです。

箴言16:32–「怒りをおそくする者は勇士にまさり、自分の心を治める者は町を攻め取る者にまさる。」外部的なものを支配する前に、自分の感情や欲望を支配する事が出来るようになる必要があります。自身を支配下に置く事は、神の被造物を支配下に置く事よりも先行します。これは神の最も高い私たちの人生の目的が成就するために必須の性質なのです。


イスラエルの取り消されない召命

Dan

ダニエル・ジャスター氏は、メシアの再臨につながるイスラエルの救いの重要性について語ります。

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