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2018年9月14日

7つ目のラッパと携挙(パート1)

ダニエル・ジャスター、博士(神学)ティックン・グローバル、Restoration from Zion(シオンから来る回復)

shofar

聖徒の携挙とイェシュアにある義人の復活が大患難時代の後に来ると(艱難後携挙説)考えている人々は、携挙をどこに置くかによって2つの意見があります。多数派だと私が考える1つの意見は、黙示録11章にある7つめのショファル(ラッパ)の時に来るというものです。もう1つは怒りの鉢の終わり(艱難期の最後の一時期)に起こるというもので、それはヨム・キプール(贖罪の日)の終わりのラッパがしるしとなります。このしるしは第1コリント15:51−52に語られている最後のラッパにおける変換に関連しています。

私の著作「Passover, Key to the Book of Revelation(過越—黙示録の鍵)」にて、7つめのショファルが艱難のショファルであり、私たちが主に交わることが、私たちが主の元に帰っていくという意見を展開しました。主の再臨における出来事は一気に起こるのではなく、プロセスごとに起こると見ています。またそれらのことは、朧げに見ているのであって、そのような意見はある意味推測の域を出ないということも理解しています。

この意見を採る理由:

  1. 第1コリント15章の最後のショファルは、裁きをもたらすショファルの最後のものであり、この7つ目が一連の最終で最後の審判、携挙、復活を知らせるものだけであると示すことも出来ますが、それを最後にもうショファルが吹かれなくなるということではありません。その後にも千年王国の時代を通じてショファルが吹かれます。
  2. ヨム・テルア(ラッパを吹く祭り)はイェシュアにより明らかに成就された他の祭りの様には、何か大いに成就されたものがある訳ではありません。しかしヨム・テルアがメシアの到来を知らせるのであれば、それは携挙や、復活、主の地上への降臨が成就し、それが相応しい成就される内容となります。他の意見は、この大いなる祭りの重要性における相応しい成就とは言えません。第2テサロニケ4:16-17とヨム・テルアおよびロシュ・ハシャナの関連性は優勢な意見であり、正当な理由で一般的に教えられているものです。
  3. 黙示録には時系列に起こる出来事が記されている、7つの封印、7つのショファル、7つの怒りの鉢があります。7つ目の封印は7つのラッパの要素を含んでいて、それらを開き、7つ目のラッパは7つの神の怒りの鉢を含んでいて、それらを開きます。また、この書はその途中に、必ずしも連続性があるとは言えない挿入話が含まれています。そこにはヨハネ自身がその箇所に挿入話を入れた事に重要性があるのです。
  4. 7つ目のショファルを鳴らそうとするその時に神の奥義が完成するのだと、7つ目のショファルの前にヨハネが記しています(黙示録10:7)。これが携挙と復活のショファルであるなら、完璧に合致します。その奥義とはメシアの花嫁に数えられる人数が満たされる事です(パウロがエペソ3章で教えている通りで、またローマ11章の異邦人の満たされる事なのです)。携挙と復活が7つ目のショファルの後であるならば、黙示録10:7に記されているように、奥義はショファルが吹かれる前に完了する事はありません。7つ目のショファルの後にも携挙の一部として救われる人々がある筈です。この事は黙示録10:7に合致しません。 黙示録11:3には、1,260日間の終わり(大患難時代)に、2人の預言する証人が殉教した後、死から復活させられ、天に昇る様が記されています。これは確かに、その後に続く思われる携挙と復活のイメージです。そしてその後、大きな地震が起こり、私たちの主が十字架に架けられた都市であるという事からそれがエルサレムだと同定できるところの、ソドムと呼ばれる都市で7千人が死にます。そして、エルサレムが主に立ち返る事が示されています。「生き残った人々は、恐怖に満たされ、天の神をあがめた。」(黙示録11:13)

他の全てのケースでは、黙示録の裁きが下る時に、民は神に立ち返らず、反抗し、呪いさえしていますが、それは反キリストや偽預言者の欺きによるものだったからです。この事は、イスラエル/エルサレムが救いを求めてイェシュアを 呼び求める時が来るという事とも辻褄が合います(マタイ23:39参照)。

これは、世の国々がエルサレムを包囲し、そこに地震が起こり、そして主が前線に出て世の国々の軍勢に対して戦うというゼカリヤ14章の記述に合います。エルサレムがイェシュアに立ち返る事はゼカリヤ2-3章の間で起こり、主の足がオリーブ山に降りるのであれば、合致します。聖徒たちはイェシュアとともに戻って来ますが、戦争は継続しており、まだ終結していません。イスラエルはまだ新生体験をしておらず、エルサレムは肉体的にイェシュアに立ち返っていると見られます。黙示録11:14の後初めて、御使いが7つ目のショファルを鳴らす事が記されています。イスラエルまたはエルサレムがイェシュアに呼びかける時、それが携挙に繋がり、この世の王国たちが我らの主の、そして主の油注がれた方の御国となるのだと思います。(黙示録11:15 )。


主の平安に入る

サラ・シンガーマン

Sarah

私たちは神の平安に入るため努力すべきなのでしょうか?私たちがどの様にして、私たちの良い羊飼いであるイェシュアを通じて、既に平安に入っているか、サラ・シンガーマンが示してくれています。

こちらをご覧ください!

デンマーク語、オランダ語、フランス語、ポルトガル語、スペイン語の字幕があります。