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2018年4月6日

新しいレベルの預言

アシェル・イントレータ

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聖書全体を通じて、段階的に預言の概念が形成されて来ました。初期の父祖の時代には、神との直接的な遭遇による預言が多くありました。そしてモーセは預言的な経験をより高い次元にもたらし、預言者たちの「父」となりました。モーセは神の民全てが預言し、聖霊を受けることを祈り求めましたが(民数記11:29)、その祈りはペンテコステ(シャヴオット/五旬節)の日に聖霊が注がれた時に初めて成就したのです。

モーセの預言は申命記の最後の章、彼の人生の終わりに、そのピークを迎えました-そこには黙示録の最後に至るまでもの、聖書の他の箇所に記されているほぼ全ての事についての暗示があるのです。事実、イスラエルの民が終末に救われるという考えと、その事で異邦人の国が「満たされ」、それにより「彼らにねたみを起こさせる」ことにより、もたらされるという事が、イスラエルを「救われた民」として、ここに言及されています(申命記32:20-21; 33:29; ローマ、10:19; 11:11; 11:25-26)。

イスラエルの民が約束の地にやって来たとき、初期の預言者たち(サムエルからエリシャ)は、第一義的にはダビデの王国について語りました。彼らは神の王国とは、即ちダビデの王国だと信じたのです。数百年経って彼らは、基本的に何かが間違っている事に気付きました。それはダビデの子孫たちが繰り返し。罪や偶像礼拝に陥って行ったからです。ターニングポイントは、ウジヤ王が死んで、イザヤが栄光に満ちた神である王のまぼろしを見た時に起こりました(イザヤ6:1-6; ヨハネ12:40-41)。それ以降、預言者たちはより高い次元の「メシア」について語るようになりました。

イェシュアは福音書で王なるメシアとして啓示されました。イェシュアが十字架に掛けられ、復活し、天に上られた後、神さまはユダヤ人、異邦人を問わず、信じる人全てに聖霊を注ぎ始めたのです。それにより、預言の賜物と啓示が、全ての新しい契約に基づいた教会=「エクレシア」に与えられたのです(第1コリント14:26, 31)。

最終幕

現在私たちは、聖書に示された終末預言の最終幕に差し掛かっています。黙示録10:11にはこのようにあります:「...あなたは、もう一度、もろもろの民族、国民、国語、王たちについて預言しなければならない。」

預言の新しい幕はイスラエル人と教会の両方に対する預言の完成です。イスラエル国家回復の預言が一つの「目」であり、世界に広がるエクレシアが満ちる預言がもう一つの「目」であるなら、両方の目を開く時なのです。この事は、イスラエルのメシアニックレムナント(残された者たち)と、世界のエクレシアの双方が「満ち満ちた」様になる、この2千年の歴史の後にのみ起こり得るのです(ローマ11:12, 15, 25)。

預言者イザヤは次のように語りました:

「神である主の霊が、わたしの上にある。主はわたしに油をそそぎ、貧しい者に良い知らせを伝え...」

- イザヤ61:1

ルカの福音書でイェシュアはこの聖句を引用しています。 イザヤ61の2節には「主の恵みの年...を告げ」とあり、福音書ではこの引用箇所はここで終っていますが、イザヤ書では更に続き「われわれの神の復讐の日を告げ」となっています。

この預言の最初の部分は、その頃から始まったイェシュアの恵みと救いのメッセージと関連していますが、「復讐の日」は遥かに後の終末時代に来るものなのです。それはイェシュアの再臨の時、裁きと戦さの時代に起こるのです。イェシュアは天から軍勢を率い、悪を滅ぼし、悪霊を地上から駆逐し、死人を甦らせ、御国を建て上げるのです。 

黙示録11:15 : 「…この世の国は私たちの主およびそのキリストのものとなった。主は永遠に支配される。」

今日の聖書の「預言」は、福音を分かち合う事、教会を励ます事、イスラエルの回復、国々がやがて来る御国に向き合う事も含まれています−「この世の王国を取り戻すため王が戻ってこられる」。この種の預言は、私たちの時代になるまでは完全には可能ではありませんでした。私は、神さまが「二重の」預言的油注ぎを与え、私たちがこの終末の時代にイスラエル、教会、異邦人の教会にあって神の計画について語ることを可能にしていると信じています。


過去、現在、未来の神の御言葉

Asher

聖書の事を、よく神の御言葉と呼びますが、実際には、聖書は文書に書かれた御言葉です。神の御言葉とは、神さまが語られた言葉なのです。話す能力がある神としての神さま。

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デンマーク語、オランダ語、英語、フランス語、韓国語、ポルトガル語、スペイン語、の字幕があります!