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2017年7月14日

自制の実

 アシェル・イントレーター

私達はどれほど聖霊の実を愛しているでしょうか!–愛と喜びと、すべての良きものです。これこそ私達の中にある神のご性格そのものです。聖霊の実の一つで、あまり話題にされないものがあり、それは「自制」です。私達はそれを「最後の実」と呼ぶ事が出来るでしょう。

ガラテヤ5:22–「しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。」

恐らく人々はこの実にあまり魅力を感じていないでしょう。それは、多少「いいえ!」と言う事を要求されるからです。すなわち、「自分の欲望に「いいえ!」という事」を意味するからです。または、少なくともある程度自分の欲を押さえる事を表します。しかし、この実はかなり重要です。

イエシュアは霊の力を受けました。まず、悪魔に対して三回「いいえ」と拒絶しました(ルカ4:1-14)。自制は自分自身に対して「いいえ」という事です。それは、「自己否定(ルカ9:33)」と似ています。それは、いつでも暗い思いが心に来ないよう自分を守る事です(2コリント10:3-5、ピリピ4:4-8)。それは、悪魔に場を与えるような事がないよう、扉を閉じる事です(エペソ4:25-29)。

私達はすべての祝福を恵みによって受けています。それは、私達のためにイエシュアが十字架に付けられたからです。同時に、神は、私達が主と共に十字架に付けられたかのように生きるよう、私達を呼んでおられます。

ガラテヤ2:20「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。」

私達はこれを、十字架に付けられたいのちと呼びます。主が私達のために十字架に付けられた事への、私達の応答なのです。私達は実際物理的に十字架に付けられたのではありません。私達は日々、「あたかも」十字架に付けられたように生きるのです。自分を十字架につける事は、霊的なたとえ話です。日々私は自然な欲求を抑えるようにしています。自制の実は主と共に十字架に付けられた事を実行に移す事です。

主が私達を祝福したいと思っておられる時、まず自制の時期(期間)があります。時々この期間は1分で、時には1年です。それが永遠に感じられる事が多いです。自制は祝福の前、祝福の間、そして祝福の跡に必要です。

それは、神が素晴らしい食事で私達を祝福される際に、机の上にある食事を全部食べてしまわないといけない、という意味ではありません。私達は自制を行う際、祝福を他の人のためにも取っておいてあげるのです。私達は悪いものを遠さげ、良いものをとっておきます。神は私達のために玉座を取っておいて下さるのです。

この例えは少し生々しいかもしれませんが、自制はトイレに行く前に、我慢をするようなものです。体内の筋肉に力を入れてもらさないようにするようなものです。魂のレベルにおいて、自制はそのようなものです。

私達は自分自身を「緩和」させるために待っているのではありません。(訳者注:「relieve」は通常「緩和、和らげる、軽減する、任務からの解放、交代、解任」などの意味がありますが、下世話な意味で「放尿する」とか、そういう意味で使う時もありますが、ちょっと下品になりすぎるので、「緩和」としておきます。)私達は主を待っているのです。私達は自身の本能を押さえて主が私達の人生の中で働いて下さるよう時間と機会を与えるのです。私達が主を待っている時、私達は自制を行っているのです。

箴言16:32–「怒りをおそくする者は勇士にまさり、自分の心を治める者は町を攻め取る者にまさる。」

皆様は軍の将軍より、運動選手のチャンピオンや社長よりも大いなる者となれるのです。彼らは英雄です。自制することが出来る人こそ「スーパーヒーロー」です。自制は最大の勝利なのです。

私がこれを書いている時にも感じる事が出来ます。自制を強化するために神からの能力があるという事です。これを皆様が読んでいる間にも自制の実が皆様の人生の中で豊かに成長するよう、私は今祈ります。


世の光となる

エディ・サントロ

最近、安息日の日、私は「世の日から」についてのメッセージを語ります。私が語る前、集会の最初の頃、シムカが、彼女がどこに行っても「大胆」であろうと決めた後何が起こったのかを、証をしました。彼女はスーパーマーケットにいて、主が彼女に、誰かが背中を痛めているという知識の言葉が与えられたのを感じました。彼女は愛を持って彼に挨拶し、しばらく話をし、彼は、彼女が彼のために祈る事に同意しました。主に賛美します!彼は癒やされたのです!彼女は非常に興奮し、信仰の一歩を踏み出してどこへ行っても神の愛と癒しを広げるよう皆に励ましました。彼女の言葉は私がしようとしたメッセージの大いなる確認となりました。

私のメッセージの後、多くの人々が新しい大胆さを受け取るよう按手を受けました。今日においてエルサレムで何か新しい事が行われようとしている事を、そして手の人々が新しい自信と大胆を持って歩み始めようとしている事を、どうか祈りに賛同して下さい。野は収穫を待っている状態です。主の働き手が野に行って、収穫を刈り取る事が出来ますように。


意図する事

この動画でコディはビジネスから宣教活動に至るまで、何をするにも意図をしっかり持つ事の重要性を語ります。

字幕はデンマーク語、オランダ語、英語、フランス語、ポーランド語そしてポルトガル語(ブラジル)であります。

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