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2016年12月16日

来る未来にイスラエルには特定の立ち位置があるのか

 ダン・ジャスター

来る未来に、イスラエルの栄光ある立ち位置を表す多くの聖書箇所があります。全てを引用するにはスペースの都合上限界がありますので、以下一部引用致します。

だが、ユダは永遠に人の住む所となり、エルサレムは代々にわたって人の住む所となる。ヨエル書3:20

見よ。その日が来る。――主の御告げ――その日には、耕す者が刈る者に近寄り、ぶどうを踏む者が種蒔く者に近寄る。山々は甘いぶどう酒をしたたらせ、すべての丘もこれを流す。わたしは、わたしの民イスラエルの繁栄を元どおりにする。彼らは荒れた町々を建て直して住み、ぶどう畑を作って、そのぶどう酒を飲み、果樹園を作って、その実を食べる。わたしは彼らを彼らの地に植える。彼らは、わたしが彼らに与えたその土地から、もう、引き抜かれることはない」とあなたの神、主は、仰せられる。アモス書9:13-15

終わりの日に、主の家の山は、山々の頂に堅く立ち、丘々よりもそびえ立ち、すべての国々がそこに流れて来る。多くの民が来て言う。「さあ、主の山、ヤコブの神の家に上ろう。主はご自分の道を、私たちに教えてくださる。私たちはその小道を歩もう。」それは、シオンからみおしえが出、エルサレムから主のことばが出るからだ。主は国々の間をさばき、多くの国々の民に、判決を下す。彼らはその剣を鋤に、その槍をかまに打ち直し、国は国に向かって剣を上げず、二度と戦いのことを習わない。イザヤ書2:2-4

これらの聖書箇所は改まった地を表しており、天について表していないものと思えます。

並行してイザヤ書11章をご覧下さい。主なる油注がれた者、メシアから来た剣の後、主は悪を断ち切り、以下のように述べられています。(イザヤ11章6-9):

狼は子羊とともに宿り、ひょうは子やぎとともに伏し、子牛、若獅子、肥えた家畜が共にいて、小さい子どもがこれを追っていく。雌牛と熊とは共に草をはみ、その子らは共に伏し、獅子も牛のようにわらを食う。乳飲み子はコブラの穴の上で戯れ、乳離れした子はまむしの子に手を伸べる。わたしの聖なる山のどこにおいても、これらは害を加えず、そこなわない。主を知ることが、海をおおう水のように、地を満たすからである。

イザヤ書2章イザヤ書19:20-24イザヤ書65章66章ゼカリヤ書14章マラキ書黙示録11章使徒15章ローマ15章黙示録21章。これらの箇所は実際の世界に住む実際の人々で、彼らは素晴らしく際立っています。来る未来はこの世界において全ての善きこと、美、そして真理として理解され、それらが贖われ、私たちの理解を超える驚くべきレベルに引き上げられるのです。

ゼカリヤ書14章は諸国がエルサレムにやってきて、仮庵の祭を祝うとあります。

エルサレムに攻めて来たすべての民のうち、生き残った者はみな、毎年、万軍の主である王を礼拝し、仮庵の祭りを祝うために上って来る。地上の諸氏族のうち、万軍の主である王を礼拝しにエルサレムへ上って来ない氏族の上には、雨が降らない。(ゼカリヤ14:16-17)

「エルサレムへ上って来ない氏族の上には、雨が降らない。」これは「成就した永遠の世」に合わないように思えます。その世は「新しい天と新しい地」という永遠の状態を指します。

さらに、レビ的な祭司職の回復、神殿の復興の約束があります。(エゼキエル書40-48、エレミヤ33:17-18)この、建て直された神殿において犠牲が捧げられるという考えは、千年王国の箇所の中でも最も難しい箇所で、とりわけこの件に関して文字通り受け入れる事が出来ない人々もいるでしょう「前千年王国説(千年王国の前にキリスト再臨する説)」の人々でさえも、これを受け入れられない人もいます。

「前千年王国説」者にとって、黙示録20章はこれらの箇所を解釈する鍵をもたらしてくれます。サタンは千年間捕縛され、殉教者が生き返ります。彼らはメシアと共に千年間地を支配します。

イエシュアを受け入れた方はメシアの花嫁であるなら、では、婚礼の招待客は一体誰でしょう。もし私たちが主と共に支配するなら、では、支配される人々とは誰でしょう。

イエシュアの12使徒が王座に座り、イスラエルの12部族をどう裁くのでしょうか。このような疑問は次から次へと出てきます。しかしながら、「前千年王国説」の視点のみが、これらの多くの箇所を結びつける事が出来、様々なシンボルが分かりやすくなるのです。私たちはまた千年王国に、すべての部族、言語、国々の人々に同じ原則が当てはまるものと信じています。イスラエルに対する預言の文字通りの成就は多くのメシアニックジューが「前千年王国説」を受け入れる事となりました。それは使徒的な教会が第一世紀から数世紀間に信じてきたものとまったく同じ考え方です。


何?私はあなたにも「はい」と言いましたか? リアット・アーチャー

先週、私は結婚について二つの夢を見ました。一つは、私はエチオピア系ユダヤ人と結婚したというもので、もう一つはアラブ人クリスチャンと結婚したというものです。最近のエルサレムのワールド・ギャザリング集会の間、私には新しい啓示がありました。それは、私が主であり救い主であるイエシュア「はい」と言った時、私はまた、主に対して「はい」と言ったすべての部族、言語の人々と結婚のような契約的関係を結ぶことに対して「はい」と答えたのです。

この「結婚」は新約聖書ゆえにキリストの身体として「一つ」となった結果なのです。これはまた「新しい一人の人」と知られています。この種の関係は、また他の信者を自分の夫をお世話するように世話をするように召命されているのです。私の夫が病気になり、困難な時を過ごした時、私は彼をお世話し支援するよう行動します。そのように、私はまた同じ態度と応対を、仲間である信者が困難を通り抜ける時に取ります。それは、霊的に言うなれば私たちは「結婚」しているからです。


和解の後には何が来る?

アシェルは、過去数十年のアラブ人とユダヤ人との和解運動の中で彼の経験から学んで来た事を分かち合います。それは神が始めた過程の始まりであり、それはまだ終わっていません。和解を執り行うのは十分に難しい事ですが、すでに疑問が沸き起こっています。次は何が来るのでしょうか。こちらをクリック!


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